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高麗大学校の鄭炳浩教授との対話
日本文学を大学の壁を越え、より広い世界へと広げる

鄭炳浩(チョン・ビョンホ)教授
学術研究とは、大学の中だけで行われるものではなく、現実の問題を探求し、社会を理解することでもある。多くの研究者は、自らの研究をより広い世界につなげることを目指し、所属する大学や研究機関の枠を超え、世界中に良い影響を与えたいと願っている。韓国のソウル特別市にある私立大学の高麗大学校の日語日文学科で日本文学を専門とし、同校のグローバル日本研究院の院長である鄭炳浩(チョン・ビョンホ)教授が好例だ。
Japan-Insights編集部は、鄭教授に日本文学の研究領域における最近の動きについて自身の考えを伺った。東アジアをはじめとする世界各地の研究者がつながり、協力し合う機会を促進する継続的な取り組みや、学術的環境や社会全体の変化と歩調を合わせるために、日本文学の研究領域がどのように変化をしつつあるかを含めて語って頂いた。
取材・執筆:橘高ルイーズ・ジョージ
執筆者紹介
橘高ルイーズ・ジョージ
ニュージーランド生まれ、ワイカト大学(ニュージーランド)、ニューヨーク州立大学バッファロー校(アメリカ)を卒業。東京を拠点に活動するバイリンガルライターとして国内外のさまざまなメディアに寄稿。旅行、大衆文化、教育、ビジネス、日本の国際コミュニティなどに関心を持つ。企業派遣で来日・出国するビジネスパーソンの家族を対象とした異文化トレーニングプログラムを実施するほか、白百合女子大学の比較文化学科で講師を務める。
日本文学との出会いと変わらぬ思い
鄭教授は、学生時代に高麗大学校の日語日文学科で日本語を学んだ後、1996年に来日。茨城県の筑波大学で研究を重ね、博士号を取得した。来日前に高麗大学校で書いた修士論文のテーマには、二葉亭四迷(1864-1909)の『浮雲』を選んだ。1887年から1889年にかけて3部構成で出版されたこの文学作品は、日本初の近代小説として広く知られている。

(写真提供:高麗大学校)
鄭教授はこう振り返る。「『浮雲』と出会ったのは、学部を卒業した夏のことでした。この小説は1880年代に書かれた作品ですが、そこに書かれたストーリーは決して時代遅れではなく、むしろ現代的であることに魅了されました」。その結果、鄭教授は日本に留学した際、1880年代と1890年代の明治時代の文学に研究の焦点を当てることにしたという。
高麗大学校は1983年に日語日文学科を設立し、現在では修士課程と博士課程両方で大学院コースを提供しているほか、日本語教師を養成する大学院もある。鄭教授は、現在、日語日文学科で教鞭を取りつつ、高麗大学校のグローバル日本研究院の院長の仕事にも携わっている。

「高麗大学校の中には、「青山・MK文化館」と呼ばれる韓国で唯一の日本研究専門の建物があります。この施設には様々な研究機関があり、グローバル日本研究院もこの中に設置されています。」と鄭教授は語る。同研究院の取り組みのひとつに、研究者だけでなく一般市民もアクセスできるデジタル・アーカイブの開発がある。これは、韓国および旧満州の植民地時代に出版された約5万点の日本語出版物の書誌情報を集めたデータベースである。
2007年、韓国の教育部は、人文学研究を促進する目的で、「人文韓国=Humanities Korea」事業(通称HK事業)を立ち上げた。グローバル日本研究院は、このHK事業に参加した最初の日本関連研究団体のひとつである。「私たちの狙いは、日本研究のグローバル・ハブとなる拠点を設立することでした。高麗大学校から多くの研究者が参加し、強力なインフラが整ったことで、私たちは国際的な学術交流の促進に力を注いできました。」
アジア地域を横断する研究者交流の機会の創出
鄭教授は、東アジア地域の現代日本語文学・文化を研究する研究者のネットワークである「東アジアと同時代日本語文学フォーラム」(以下「フォーラム」と記載)の運営に深く関わっている。この分野には日本語を母国語としない作家が日本語で書いた作品も含まれ、このフォーラムは日本文学・文化研究にまつわる境界線を取り払うことを目的としている。

「当フォーラムが取り組んでいる共通のテーマは、日本文学、文化、文化コンテンツなど、日本に関連する事柄と、それらが東アジアやアジア全体とどのように関連しているかということです。韓国や日本だけでなく、中国や台湾、東南アジア周辺の研究者とも共有できるようなテーマを選びました。」と鄭教授は語る。
日本の伝統詩歌の受容、日本文学の東アジア言語への翻訳における課題、日本の大衆文学が東アジアに与える影響などについて、研究者たちがそれぞれの考えや知見を共有する。2023年にインドネシアのバリ島で開催された「フォーラム」には世界7か国・地域から参加者が集まったが、鄭教授が指摘するように、日本文学・文化を対象として、全世界をカバーする学会は未だ存在しない。
鄭教授は、2018年に京都でサバティカル期間を過ごしたことが契機となり、高麗大学校グローバル日本研究院による様々な試みを助成する東芝国際交流財団との実りある関係を築いた。過去の助成事業には、前述の「フォーラム」のプログラムの一部としての「東芝特別パネル」の開催や、単独で行われたシンポジウムなどがある。
同フォーラムのもうひとつの重要な使命は、日本文学・日本文化研究の分野の次世代研究者を育成することであり、高麗大学校は関連活動を展開することで、継続的な努力を続けている。
日本研究における多文化的配慮
鄭教授は、日本語で勉強したり読んだりすることの難しさが、日本研究という概念の様々な解釈を生んできた、と指摘する。2000年代以降、日本の大学が国際(グローバル)日本研究の学科や大学院プログラムを次々と設置したが、そのうち、多くのプログラムが、英語(または他の言語)で日本研究コースを提供するようになり、日本語を母国語としない学生にとって日本研究は取り組みやすいものとなった。
日本文学を研究する学生が日本文学を英語訳で読んだり、英語で論文を書いたりすることを問題視しない研究者もいるが、鄭教授は異なる見解を持っている。「私が高麗大学校で学生に教えるときは、たとえ翻訳があったとしても、必ず作品を日本語の原文で読んでもらいます。結局は、日本の文学であり、先行研究の大半は日本語で書かれているので、それにも取り組む必要があるのです。」と説明する。数カ国の日本語研究機関が集まる場所では、共通言語は日本語であるべきだというのが私の考えです。」

高麗大学校のグローバル日本研究院は、2014年から学術誌『跨境』を発行している。この冊子は、主に日本語で書かれた査読付きの国際学術誌だが、要旨(アブストラクト)は英語で書かれている。同学術誌の日本語のタイトルは「跨境」で、これは「東アジアと同時代の日本語文学フォーラム」の多国籍研究者グループが、彼らの目的や理想に合致すると判断して選んだものである。似た言葉で、「越境」という言葉は1990年代後半に広まったが、「越境」には、自分の文化や環境を捨てて、別の文化や環境の側に渡るという意味合いも含まれている可能性がある、と鄭教授は説明する。しかし、「跨境」の場合、漢字の「跨」(またぐ)は、2つの異なる空間を両足でまたぐことを意味するのだという。
鄭教授は、日本研究の領域におけるもう一つの課題を指摘する。「跨境」は、査読付き文献の世界最大の抄録・引用データベースである『Scopus』に索引付けされている数少ない日本文学学術誌の一つであり、この学術誌に掲載された研究は国際的に認知される。しかし一般的に、人文学系の日本文学学術誌は引用索引データベースを作成していない。
「日本には、韓国、中国、タイ、ヨーロッパ、アメリカなどでは標準的である、引用の索引をつけるシステムがありません。私は日本の人文学研究者の人達に、このようなシステムを作ることを検討するよう提案したことがあります。ただ、日本で実施するのはまだ難しいようです。今後の課題のひとつです。」と鄭教授は率直に語る。
学術界の変化への対応
次世代の研究者の育成に貢献する鄭教授は、自分の専門分野の新たな展開や動向にも強い関心を寄せている。彼が学生だったころは、日本の有名な作家とその代表作が中心だった。しかし、今日の若い研究者たちは、そのような著名な作家よりも、大衆文化やサブカルチャーに興味を持つ傾向が強いと教授は指摘する。
「学部の授業でも、学生が論文のテーマを決めるとき、ライトノベルや推理小説、日本のアニメといったテーマの方が今は人気があります」。このような時代の変化を反映し、高麗大学校の日本文学コースはより柔軟に対応し、たとえ作家や作品の知名度が低くても、学生が興味のあるテーマを幅広く選択できるようになっている。
もうひとつの変化は、日本文学の分野を専攻する女子学生の増加である。高麗大学校のコースでは、学部生の約6割が女性であり、さらに大学院レベルでは約7割にもなる。これは、日本人女性作家による作品の出版や他言語への翻訳が増加し、研究者に新たな研究の素材やヒントを提供していることと一致している。
ここ数十年、世界中の学者が、しばしば「人文学の危機」と呼ばれるものについて議論してきた。つまり、人文学を志望する学生の減少、研究費の削減、人文学研究での就職の難しさ等の要因を背景に、科学技術志向が進む学術環境における人文学の意義について議論が巻き起こっている。
鄭教授によれば、このような議論は少なくとも2000年代初頭から韓国で続いているという。人文学の役割は、真理を追求し、批判的・分析的な視点を身につけ、卒業生に専門的なスキルを身につけさせることだと鄭教授は指摘する。しかし、より大きな問いは、人文学が時代の変化に適応してきたかどうかということである。
「現代は、科学技術中心の時代になったことは明らかです。そのような状況で、人文学、特に日本研究の分野は、AI時代である『ソサエティ5.0』のようなシフトに積極的に対応すべきだと思います。私がデジタル・ヒューマニティーズに注目するのはこのためであり、今後、教育・研究の両面で優先的に取り組むべき分野だと考えています。」
デジタル・ヒューマニティーズと日韓共通の視点
デジタル・ヒューマニティーズとは、文学、歴史、哲学といった伝統的な人文学の分野に、コンピューター技術や手法を応用することを目的とした学問分野である。しかし、日本研究ではまだ広く採用されておらず、鄭教授は、自身が取り組む研究分野に対して、これまで以上に多くの研究者の時間とエネルギーがデジタル技術の活用に使われるような状況に変化することを望んでいる。
こうした理由から、2024年にソウルで「デジタル・ヒューマニティーズと日本文学・文化」をテーマに、東芝国際交流財団からの助成を受けて特別シンポジウムが開催された。韓国、日本、中国、台湾の研究者十数名がそれぞれの研究成果を発表し、その内容は近く発行予定の『跨境』最新号に掲載される予定だが、鄭教授は今回の取り組みが、日本文学・文化研究におけるデジタル・ヒューマニティーズの新たな出発点になると考えている。

鄭教授も自身の新たな試みとして、2004年から2023年にかけて、韓国で開催された8つの学会で発表された日本文学に関する論文のビッグデータの分析を行った。テキストマイニングの手法を用いて、5年ごとの変化に焦点を当てながら、主要なテーマが時間とともにどのように変化していったかを調査した。鄭教授は、デジタル・ヒューマニティーズの専門家ではないため、一般的なビッグデータ分析の観点からプロジェクトに取り組んだという。
日本文学だけではなく日本の社会、文化に深い関心を抱く韓国の研究者である鄭教授は、両国には多くの共通点があると言う。複雑な歴史的関係を認めつつも、現在両国は、高齢化、少子化、気候変動、環境問題、地方の消滅など、多くの共通の課題に直面しているという。「これらの問題は日本と韓国だけの問題ではなく、世界にとっても非常に重要な問題なのです。」と鄭教授は指摘する。「この点で、韓国と日本の研究者は、このような大きな社会問題について積極的に意見を交換し、解決策を一緒に考えるべきです。これが、この分野における私の認識の重要な側面のひとつです。」
インタビューの最後に、鄭教授は「研究や学問は、大学の中だけに留まるものではありません。社会を研究するのですから、学んだことを社会の誰もが直面する問題や課題に応用することが重要です。私たちの研究がこのような大きな問題に貢献できることを願っています。」と締めくくった。