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伝統的デザインを通して異文化間の結びつきを探る
アートや音楽は異文化交流の媒体としてよく用いられるが、マレーシアのマラ工科大学(UiTM)でデザインを学ぶ学生たちにとって、家具制作は大学の最終年度の様々な取り組みや、将来のキャリアに向けた新たな視点をもたらしてくれるものだった。東芝国際交流財団の助成を受け、学生たちは日本の伝統的な木工技術を学ぶため、教員とともに2023年に日本を訪れた。訪問団の団長であり、UiTMのケダ校の工業デザイン学科の教員であるワン・ヌール・ファアジア・ワン・オマル博士に、研修ツアーを振り返り、今回の経験が職員と学生の双方にどのような恩恵をもたらしたかを語って頂いた。
取材・執筆:橘高ルイーズ・ジョージ
執筆者紹介
橘高ルイーズ・ジョージ
ニュージーランド生まれ、ワイカト大学(ニュージーランド)、ニューヨーク州立大学バッファロー校(アメリカ)を卒業。東京を拠点に活動するバイリンガルライターとして国内外のさまざまなメディアに寄稿。旅行、大衆文化、教育、ビジネス、日本の国際コミュニティなどに関心を持つ。企業派遣で来日・出国するビジネスパーソンの家族を対象とした異文化トレーニングプログラムを実施するほか、白百合女子大学の比較文化学科で講師を務める。
知識習得の新たな機会の創出
マラ工科大学(UiTM)は、1つのメインキャンパスと34のサテライトキャンパスからなるマレーシアの国立大学である。学部課程から大学院課程まで500以上のプログラムがあり、UiTMは高度の教育とイノベーションに力を注いでいる。ケダ校はマレーシア北部に位置し、芸術、ビジネス、情報学を専門としている。
UiTMケダ校の応用デザイン科では、トランスポート(輸送機関)デザイン、製品デザイン、工業デザインの3つの専攻分野を設けている。学生は、チャレンジングかつ刺激的なデザインの世界でキャリアを築くのに役立つ実践的なスキルを磨くチャンスを得ることができる。
応用デザインコース1とコース2の学生には、日本の伝統工芸である木象嵌(もくぞうがん)を組み入れた家具製作という革新的なデザインプロジェクトが提供された。この装飾技法では、木の表面に溝や穴を彫り、貝殻、石、象牙、金属などの素材をはめ込んだり、埋め込んだりする。学生と教員の一団は、日本文化を直に体験しながら象嵌技法について学ぶため、日本の実地研修ツアーに参加した。
研修ツアーの参加者は卒業に向けた最終単位の取得のための最終プロジェクトに取り組んでいる4年生の中から、面接を経て選ばれた。「私たちは、しっかりとした決意を持った参加者を集めて、この研修を成功させたかったのです。」とワン博士は言う。
木象嵌について学ぶという点において、ワン博士は、教員たちも学生とともに学んだと言う。「私たち教員も木象嵌については全くの素人でした。私たちは、日本を含む他国のさまざまな象嵌デザイン技法を探求しました。そして、日本の文化を理解する必要もありました。当プロジェクトは、生徒と教員が共に学び、異文化理解能力を養う機会だったのです。」
伝統の技を学ぶ
今回の研修ツアーのハイライトのひとつは、千葉県船橋市にある「910mokko Woodwork」のオーナーであり、日本の木工の専門家である工藤雅裕氏の工房を訪問したことである。また、彼は英国を拠点に日本の伝統的な木工技術を紹介する非営利団体、Japan Woodcraft Association(JWA )の関係者でもある。工藤氏は、マレーシアの大学生とのワークショップでは、まず自分の作品を見せてから、簡単な指物づくりや、加工法のデモを実演した。
「私は、機械を用いた木組みも行いますが、基本を一から学び、加工、応用と順序を踏んでいく手作業には、機械では再現できない魅力があります。まずは簡単な組手から練習し、徐々に複雑な木組みへとステップアップしながら、一歩一歩技術を磨いていきます。」と工藤氏は説明する。
工藤氏は、日本の工芸技術の魅力を伝えるための余地はいくらでもあると考えている。「海外のデザインや技術に日本の要素を取り入れることは、クリエイティブなアプローチにつながります。逆に、日本の工芸品や作品に他国の技術を取り入れることで、新たなイノベーションが生まれることもあります。」と話す。ワン博士によれば、学生たちは、工藤氏の工房を訪問する機会をとても楽しみにしていたという。「彼らは今まで知らなかった日本の伝統的な道具を目にすることができました。これらの道具がどのように使われているのか、また木材の象嵌技法について学んだとき、彼らはとても感銘を受けたようです。さらに、マレーシアと日本では材料が大きく異なり、マレーシアでは手に入らない木材もありました。」
訪問団はまた、東京・目黒にある手工芸の保存を目的とした日本民藝館も訪れた。「今回の研修の様々な経験を通して、私たちは日本の職人技の複雑さについて理解を深めることができました。私たちの創造性に火が付き、体験で学んだことを、自分たちのプロジェクトに活かすことが出来ました。」とワン博士は言う。
次世代を担うデザイン人材
マレーシアの学生たちは、千葉大学を訪問して、日本の学生たちと交流する機会も得た。「わが校の学生たちは千葉の学生たちと交流し、日本の生活や文化について質問しましたが、メンバーのひとりが日本語を話せたため、皆のコミュニケーションに役立ちました。また、千葉大学のデザイン学科の教授とのセッションにも参加し、ほとんど英語でコミュニケーションをとることが出来ました。」とワン博士は言う。
参加者の一人は、クリエイティブ・アーツ学部で工業デザインの学士号を取得したばかりのヌルル・ナジーハ・ノルディンさんだ。ノルディンさんは現在、マレーシア木材産業局(MTIB)が主催する、木材関連産業の技能訓練と教育を目的とした専門プログラムに参加している。日本での経験については、このように語る。「伝統的な建築物から伝統的な衣服まで、どれも美しく、明確な意図を秘められているものばかりで、デザインに関しても、マレーシアと日本の間に多くの共通点があることを実感させられました。いろいろな意味で物の見方が変わり、視野が広がったと思います。」
「それぞれの国が独自のアプローチで創作や建築に取り組んでいるため、他国のデザインや工芸技術を学ぶことは、非常に有益なことです。」と彼女は語る。ノルディンは、クライアントとの永続的な関係を育み、自分自身も継続的に成長出来るような機会を提供してくれる職業に就くことを目指している。
ノルディンさんのもう一人のクラスメートのムハンマド・ザリフさんも、日本に来て、視覚的な面でも実践的な面でも日本の文化を学ぶ機会を得たことを喜んでいる。「海外の工芸技術を学ぶことは、デザイナーにとって視覚的なデザイン能力や、文化を主体としたデザインを創造するための知識を広げるに役立ちます。デザインの視覚的側面についての知識を広めるは、様々な工芸品の背景にある文化的意義について深く理解する必要があるからです。」と彼は指摘する。
現在、家具デザイナーとして働くザリフさんは、いずれはデザインの教育者としてのキャリアを切り拓き、多くの人々にインスピレーションを与える未知を歩みたい。「私の知識を活かして、未来の生徒たちに様々な角度からデザインを教え、彼らが新しい世代の有能なデザイナーとなり、時代の先駆者となるように努めたいです。デザインの世界は未だ過小評価され、誤解されていますが、いつかそのような世界の認識を変えたいと思っています。」
デザインによる文化の融合
マレーシアに戻った学生たちは、日本で得た知識を生かしながら、日本とマレーシアのデザイン要素を融合させた家具のデザイン制作に取り組んだ。学生たちは、現在のトレンドやユーザーのニーズを考慮しながら、デザインを通して自分たちの個性を披露することが求められた。将来若いデザイン起業家として活躍が期待されるこのコースの学生たちは、最適なデザインコンセプトを考え出すと同時に、実現する上での問題点を発見し、克服することに挑戦した。
ワン博士は、2つの文化のバランスを取ること、そしてデザインと美しさのバランスを取ることが重要だったと言う。「日本と同様、マレーシアにも豊かで多様な伝統と文化があります。学生たちは、現代と伝統の両方の視点から、異文化融合を図るイノベーションを自分たちのデザインに取り入れていました。彼らは日本の技法とマレーシアのモチーフを組み合わせて、2つの国の良さの融合を大切にしようとしていました。」
学生たちはデザイン展示会やギャラリーに自分の家具を展示し、様々な人々が象嵌の技術や木象嵌の伝統に関心を示した。彼らが参加したイベントの 1 つは、UiTM ケダ校のクリエイティブ・アーツ学部のすべてのプログラムが参画するミンダレカ・デザイン・ショーでした。国際化担当の副学長補佐のシャーリマン・ザイナル・アビディン教授がこのイベントの司会を務め、UiTMケダ校で開催されました。今回のプロジェクトは主として、制作技術の習得と、一点もののデザイン制作の練習であったため、学生たちは家具デザインの商業的側面についての研究指導も必要だった。そうした意味から、マレーシアのタンガム・デザイン・センターによる市場性評価も実施され、学生たちは消費者に受け入れられる家具をデザインするための貴重なアドバイスを受けた。
プロジェクトに参加した学生たちは現在既に卒業し、社会人としての一歩を踏み出したり、さらに学問を続ける道を選んだ人たちもいる。ワン博士は、学生たちが日本での経験を将来のキャリアに活かしてくれることを願っている。「彼らには単なるデザイナーに留まらず、グローバル社会において多様な経験を積んでほしいのです。」
広い意味で、このような異文化融合のデザイン体験は、日本とマレーシアの絆を深める方法にもなる、と彼女は考えている。「デザインには普遍的な魅力があり、異なる背景を持つ人々にも受け入れられるものです。私たちはお互いの違いを探求し、享受し、文化的な経験に人間的な要素を加えることで、共感と相互尊重につなげることができるのです。」とワン博士は指摘する。
今回のプロジェクトの成功を踏まえ、ワン博士はサバティカル期間を利用し、来日し、千葉大学で異文化融合デザインについて研究を続ける予定である。彼女は今後もマレーシアからの学生を日本に招きたいと考えている。「このような機会は、東芝国際交流財団の助成無しにはあり得ませんでした。将来、また学生たちの日本訪問の機会が生まれることを期待しています。」と語る。