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セバスチャン・ルシュヴァリエ博士インタビュー

社会科学高等研究院(EHESS)教授
日仏財団(FFJ)理事長

Dr. Le Thi Thu Giang
セバスチャン・ルシュヴァリエ博士
社会科学高等研究院(EHESS)教授
日仏財団(FFJ)理事長

高齢者介護におけるケア主導型イノベーション: 3年にわたる日仏プロジェクトが新たな段階へ

Japan-Insightsでは、このほど東京で、イノベーション、制度改革、公共政策の研究を専門とする労働経済学者であり、教鞭も取るセバスチャン・ルシュヴァリエ博士と面会し、現在注力しているプロジェクトについてお話を伺った。日仏間の学術交流を促進する財団の理事長を務めるルシュヴァリエ博士は、東芝国際交流財団の助成事業であり、特に高齢者介護の分野において、ウェルビーイング(幸せ・健康・福祉の包括的概念)をイノベーションの中心に据えることを目的とする学際的イニシアチブ「INNOVCARE」のリーダーを務めている。このプロジェクトは、これまで18の加盟機関から60名(うち7名は日本)のメンバーが参加するまでに発展した。今年で3年目を迎えたこのプロジェクトの成果は、高齢者の長期ケアに関するフランスの国家政策目標に最終的に反映されることが期待される新たな段階に入りつつある。

取材・執筆:竹馬スーザン

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日仏財団のフェローが日本の介護施設で行った参与観察型のフィールドワークでは、フランスのアルデバラン社が製作し、顔を認識し基本的な感情を読み取る能力を持つロボットである「ペッパー」の試作機が与える影響を評価した。この調査は、EUと日本でそれぞれ公的資金を得て行われた介護ロボットプロジェクトの比較研究の一環として行われた。©FFJ

社会科学、医学、ロボット工学、人口統計学、工学の研究者と実務家を結びつけるINNOVCAREは、2021年に発足。パリに本部を置く社会科学高等研究院(EHESS)に所属する日仏学術交流組織である日仏財団(FFJ)がコーディネートするプロジェクトである。ルシュヴァリエ博士は、同財団創設以来、理事長としてこの財団を率い、INNOVCAREは立ち上げ当初から、TIFOの継続的助成を受け、これまでの技術先行型のイノベーションではなく、高齢者の長期ケアに役立つケア主導型の枠組みの開発を目指している。研究チームは、公共政策の観点から、「ウェルビーイング」と「自律性」の本来の意味をあらためて問い直し、現実の社会や個人のニーズと、ロボット工学、医療機器、AIを含む情報通信技術などの手段が提供しうる技術的解決策を統合するためのより良い方法を見出そうとしている。

私は介護に係る技術は更に向上させることができると確信していますが、一方で、技術の進歩だけに頼るべきではないと考えています。人間的な側面、つまり、介護職員の処遇を改善することや、温かみのあるコミュニケーションの実現も同時に大切なことだと思います。技術と人間の両面から解決策を考えることが大切です。

アジア資本主義の形態と制度改革を専門とする労働経済学者であるルシュヴァリエ博士は、最初から高齢者介護のテーマに特別な関心を抱いていたわけでも、ウェルビーイングについて問題意識を持っていたわけでもない。「15年前、私は製造業で使われているロボットを研究していました。当時は、ちょうど人々が工場の組み立て以外の分野へのロボットの応用に目を向け始めたころであり、高齢者介護もそうした応用分野のひとつでした。当初、私はそうした動向に特段関心はなかったのですが、私が取り組んできたイノベーションという観点から見ると、ロボットを単純に高齢者介護の分野に適用しようとするモデルは間違っていると感じました。エレクトロニクスや機械の製造現場のモデルをそのまま介護に適応させようとすれば、必ず失敗するだろうと思ったのです。」

2010年代半ばまでに、ルシュヴァリエ博士は "Innovation beyond Technology”と呼ばれるプロジェクトに携わり、その成果を後に以下のタイトルの本にまとめた。 『Innovation beyond Technology:社会のための科学と学際的アプローチ』(シュプリンガー・シンガポール出版、2019年)である。この本では多様な技術と共に、様々な分野に関する詳細なケーススタディを紹介しており、科学、技術、イノベーション、社会の相互関係を批判的に再考する内容となっている。

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INNOVCAREのミッションについて、ルシュヴァリエ博士は「社会の様々な価値を実際の行動に移すためには、より広いイノベーションの概念を持つことが必要です。」と語る。

「その本の中で、私たち著者はこれまでのイノベーションのモデルに対していささか批判的な見解を述べました。」とルシュヴァリエ博士は言う。「従来は、技術者に素晴らしい技術を独自に開発してもらい、それが完成したら、それを使う側に受け入れてもらう。つまりそれはきっと役に立つ技術なので使うべきだとユーザーに納得してもらおうという考え方でした。私たちは、これまでも世の中に無かった考えではありませんが、真逆に考えました。最初から、いくつもの種類の技術を開発するための知識と能力がある技術者に参画してもらい、すでに特定されているニーズを認識することから始め、技術者に、そのニーズを中心に技術的解決策を構築するよう求めるべきだと考えたんです。」

このプロジェクトに期待される将来への理論的な貢献の第一点目は、技術、工学、社会学、イノベーションを統合することです。また第二点目の貢献は、いわゆるケア主導型アプローチを結集し、人間の相互関係、コミュニケーション、社会性がウェルビーイングの実現に不可欠であることを強調することです。

ロボット工学、AI、デジタルアプリケーションなどの技術は、高齢者の自律性を支援するのに役立つが、本質的には使いにくい面があり、倫理的な懸念をもたらす可能性もある。「私たちは、イノベーションという観点から、自分たちのしていることの意味を問い続ける責任があります」とルシュヴァリエ博士は言う。「イノベーションが常に良いものであるとは限りません。社会のためになると期待しても、自由や幸福を損なう可能性のあるイノベーションもある。同時に、意思決定者たる人々は、技術は社会問題の万能薬ではないことを念頭に置かなければなりません。最高の技術があっても、例えば社会が男女平等を受け入れる準備ができていなければ、どのような技術を導入しても、男女不平等は解消されないでしょう。社会問題の中には、人々自身が対処しなければならないものもある」。INNOVCAREの研究者たちは、介護を受ける側の人、介護する側の家族、そして専門的な介護従事者にも有効な技術やケア主導型プロセスに関する提案を策定するための研究を進めながら、克服しなければならない制度的・構造的な問題にも目を向けている。また同時に、高齢者介護やケア環境における主観的、感情的な側面に関する研究にも深く関わっている。

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第1回INNOVCAREフォーラムでは、日仏の研究者20名が、ウェルビーイングをイノベーションの原動力とするための政策と実践について議論した。TIFOの助成事業として、2021年12月にオーベルヴィリエの国立人口統計研究所(INED)で開催された。©FFJ

プロジェクトの1年目は、どのような政策や実践を行えばウェルビーイングをイノベーションの中心に据えることができるか、分析することに重点を置いた。2年目には、プロジェクト・メンバーは、高齢者介護におけるロボット工学やその他の技術の活用をより具体的に検討し、実際の介護の現場で見られる多様なニーズの調査を開始した。そして3年目の今、この構想はさらに大きな広がりを見せている。フランス政府によって、高齢化、自律性、身体障害の分野で国家予算による研究助成の優先プログラムとして選ばれ、今後5年間(2024-2028年)の「フランス2030」投資計画の一部となった。INNOVCAREの研究者たちは現在、長期ケアに関する国の政策目標に対して提言を行うための青写真を作成する任務を負っている。

ルシュヴァリエ博士によると「日本ほどのペースではないにせよ、高齢化社会に突入したフランスにとって、ケアに対する国家計画の策定は優先的取り組み課題です。私たちは日本を見て、将来私たちも同じような状況になるのではないかと考えています。ですから、私たちが負担すべき社会的コストは受け入れた上で、人々が尊厳をもって年を重ねることができるような社会システムを構築しなければなりません。つまり、私たちの社会が思いやりを大切にし、市民を中心にし続けるためには、個人が尊厳をもって年を重ねていけるような社会づくりに社会全体が責任があることを受け入れるべきなのです。私たちは、高齢者にとって自律とは何なのかを理解することを問われている。つまり、高齢者にとってそれが何を伴うのか、自律をどのように定義し、そのための長期ケアの目標はどうあるべきなのかを考えなくてはなりません。」

プロジェクトのテーマである高齢者介護をめぐる問題に適切に対応するためには、社会全体の力を結集する必要があります。

ケア主導のイノベーションを起こすには、すべての利害関係者の協力が必要だ、とルシュヴァリエ博士は言う。「学者も、介護従事者も、高齢者自身も、地域社会も参画が必要です。大企業や中小企業の参画も必要です。また、社会経済的な組織、つまり非営利団体の参画も必要です。そして、これらすべての利害関係者が社会のために協力するプラットフォームを作る必要があります。」ルシュヴァリエ博士は、さらに、社会科学高等研究院(EHESS)の教授陣は社会科学の分野で学際的な研究プロジェクトを立ち上げる経験は有しているが、INNOVCAREでは、例えばエンジニアや医師など、社会科学を超えた学際分野の人々とも協力する必要がある、と付け加えた。異なる部門の人々がそのまま集まるだけではなく、専門領域の枠を越えて協力できるプラットフォームを確立することが重要だという。医師は高齢者の社会的ニーズや脆弱性について独自の理論や考え方を持ち、人口学者も別の指標を使っている。こうした違いに対処するため、このプロジェクトでは若手研究者を採用し、異なる研究チームを行き来できるようにする予定だ。こうすることで、彼らは一度に半年から1年間は、さまざまな問題やそれを解決するための多様なアプローチに触れることになる。「このようなスキルを持った国際的な若手研究者を15名から20名程度育てることができれば、少し楽観的かもしれませんが、素晴らしいアイデアと、それを実現するための適切なスキルを持った人材の確保につながると思います。」と博士は言う。

ロボット工学の分野では、日仏の共同研究者の間には高い相互補完性があります。日本の共同研究者は製造技術や応用面に主たる強みを持ち、一方、数学に定評のあるフランス人研究者は、AIを含むプログラミングや抽象的な開発を得意としています。

このプロジェクトには日仏の比較研究の視点が盛り込まれているが、ルシュヴァリエ博士は、日仏の結びつきは、他と比べて決して特殊な関係ではない、との基本的な見解を持っている。大学院時代から25年にわたり日本と深く関わってきたルシュヴァリエ博士にとって、日仏や他のヨーロッパの研究者との協力は、当然のことなのだ。実際、日本との学術交流に新たな道を開くことは、ルシュヴァリエ博士が2009年に日仏財団(FFJ)を設立する前から彼自身が情熱を捧げていることであった。「INNOVCAREはフランスで立ち上げたプロジェクトなので、フランスが中心の取り組みですが、日本のみならず、ヨーロッパの他の国も同じように巻き込みたいと思っています。社会科学の分野を含め、日本とヨーロッパの研究者のコラボレーションが自然に行われるようになることが、日仏財団設立後、15年来の私の夢でした。多くの日本人研究者がパリを訪れ、集い、共同研究を展開することは自然なことであるべきで、これは私たちが発展させようとしているプロジェクトの一側面でもあるのです。私たち研究者は生い立ちや考え方は違っていても、基本的には同じ価値観を持っているのです。」

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ルシュヴァリエ博士は、アカデミアの枠を超えたパートナーシップを構築するために、社会科学と工学を統合する動きが日本でも高まっていることを喜ばしく感じている。

東芝国際交流財団が設立当初から学際的、国際的、分野横断的なプロジェクトを支援してきたことは、財団としての価値観を象徴していると思います。われわれ日仏財団も、同じ価値観を共有しています。だからこそ、われわれはプロジェクトの現場に入り、研究に本気で取り組む責任があるんです。

2023年11月に開催された第3回INNOVCAREフォーラムは、日本で実施されている実践や研究手法を紹介するパネルセッションで幕を開けた。上智大学、同志社大学、日本大学の研究者と国立公衆衛生研究所の研究員が、認知症に関する施策と課題(在宅介護経費と外来患者数との対比、ショートスティ、在宅介護、介護施設入居など)について発表した。また、家族による介護責任に関して、職場の介護支援制度の法的柔軟性や、保険請求記録から得られた行政メタデータを活用し、健康寿命や無障害余命の縦断的予測を行う研究手法についても紹介された。これらの講演の後、フランスの若手研究者による新しい視点についてのパネルディスカッションが行われ、さらに、ラウンドテーブル形式で今後5年間の研究課題、研究方法、INNOVCAREの目標について綿密に計画するため議論が行われた。INNOVCAREが国家研究プログラムとして指定されたことにより、プロジェクトの資金や人的リソースを拡大することが出来たため、より規模の大きなコンソーシアムの運営が可能となり、実質的にも、プロジェクトの新たなステージの幕開けとなるフォーラムとなった。INNOVCAREフォーラムの参加者は、これまでに確立した日仏の協業体制を拡大し、ヨーロッパの他の国々の研究者の幅広い参加を歓迎することを宣言した。INNOVCAREチームは現在、高齢化社会における成人のための革新的で持続可能なケアソリューションについて、プロジェクトの今後の提案を構築するためのフィールドワークに本格的に取り組んでいる。

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日仏財団が所属する社会科学高等研究院(EHESS)は、パリの北、オーベルヴィリエのコンドルセ・キャンパスに研究専用の建物を構えている。このキャンパスには、世界の加盟高等教育機関11校からの社会科学・人文科学分野の研究チームが集まっている。©FFJ

注)当記事は、オリジナルは英語で書かれたものであり、日本語版は当財団にて翻訳したものです。

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