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ヴェレナ・ブレッヒンガー-タルコット博士インタビュー

ヨーロッパ日本研究協会(EAJS)会長(2020-2023)
ドイツ ベルリン自由大学副学長
同大学日本政治/政治経済学教授

アジア域内や地域横断的な比較研究視点に基づいた将来の日本研究に向けて
~次世代研究者の育成を中心としたEAJSの取り組みと狙い~

Dr. Verena Blechinger-Talcott
ヴェレナ・ブレッヒンガー-タルコット博士 EAJS会長(2020-2023)

ヨーロッパ日本研究協会(European Association for Japanese Studies:略称 EAJS)は、今年8月、ベルギーのゲント大学で3年に一度の国際会議を開催すると共に、協会創立50周年を迎えた。同研究会の会長を務めるヴェレナ・ブレッヒンガー-タルコット博士に、日本研究のグローバル化を進める上で、日本研究を進める上で大切な比較研究的視座を醸成し、アジア域内や地域横断的なネットワークを強化する上で若手研究者への支援がいかに大切であるか、を語って頂いた。

取材・執筆:竹馬スーザン

今後の日本研究はよりグローバル化を進めなければならないと思います。つまり、我々日本研究者は、自分たち以外の様々な地域でどのような日本研究が行われているかを、いつも頭の隅に留めておく必要があるということです。

ヨーロッパ日本研究協会(EAJS)は、今から50年前に、オックスフォード大学において正式に設立された。同協会の設立の目的は、日本研究を専門とするヨーロッパの研究者たちに本質的なコミュニケーションの場を提供し、学術交流を促す場を提供することである。ヴェレナ・ブレッヒンガー-タルコットEAJS会長はこう語る。「日本研究の課程や講座を持つ各国の大学の研究者を一堂に集めることが狙いでした。それ以前は、イギリスではイギリス人研究者同士、ドイツではドイツ人研究者同士の交流ばかりで、国を超えた相互の連携はなかったのです。」
それから半世紀が経過した今、新しい世代の日本研究者たちの間では、かつてのように 「日本」や「日本人」の本質論を追及したり、学問的抽象化を試みるよりも、学際的な交流を重視し、実際の事象や地域の多様性に焦点をあて、日本をアジア地域の中でより相対的な比較研究的視点を持って研究しようとする動きが急速に進んでいる。

東南アジアや韓国、中国といった東アジアの日本研究者は、ヨーロッパの研究者とは異なる視点で日本をとらえています。アジアの国々の様々な日本研究の視点を、ヨーロッパやアメリカの日本研究の手法と引き合わせてみたら、一体どのような共鳴効果が起きるでしょうか。非常に興味深いことです。

「知識というものを地域の中に閉じ込めておく時代ではなくなりました。」ブレッヒンガー-タルコット博士はそう断言する。「日本という国についての理論を概念的に組み立てようとする時、日本に関する特定の事象から知識や発見を生み出し、それぞれの専門領域の研究に落とし込んでいく作業となりますが、今やこれは国を超えた地域全体の視点、さらには地域をも越えたグローバルな文脈の中で進めるべきものと考えます。ヨーロッパの研究者の場合は、他の地域で行われている日本研究のことを視野に入れておく必要があるということです。それが私の考えであり、ゲントで行われるEAJS国際会議に東京大学教授の園田茂人先生をお招きして基調講演をお願いすることにした理由でもあります。園田先生は東京大学の国際日本研究に関する調査や国内外の教育機関とのネットワークを通して、多様な視点をもつ世界の研究者どうしを結び付ける活動に長く携わっておられます。」
EAJSがヨーロッパにおける日本研究の基盤を確立した今、その経験やビジョンを域外の研究者と共有し、更なる展開を進める段階に差し掛かっている、というのが博士のお考えだ。

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ゲント大学(ベルギー)
© Jonas Vandecasteele
(ゲント大学 画像データベース)

第17回EAJS国際会議は、ベルギーゲント大学(同大学日本研究所)がホスト機関となり、2023年8月17日~20日にかけて開催される。日本研究関連の学術行事の中で最も重要な集まりの一つであり3年に1度開催される同国際会議のこれまでの参加者は、ヨーロッパや、日本、北米の研究者が大半で、世界の他地域の研究者のパネルや論文提出による参加はほとんど見られなかった。同時に、日本の研究者は、日本をアジアの他国とは切り離し、アジア研究を「自分達」というより「他者」の視点から研究する分野とみなす傾向にあった。園田教授の基調講演は、近年高まるアジア研究の「アジア化」の要請に呼応するものだが、アジア圏における日本研究の特質がどのように変化しつつあるかについて考察の切り口を提供するとともに、アジアとヨーロッパの日本研究者間の連携の可能性を示唆する内容となるだろう。

東芝国際交流財団(略称TIFO)は今年、ゲントでのEAJS国際会議について、若手研究者が発表者や、パネリスト、コメンテーターとして参加するにあたり、フリーランスの研究者や自己負担参加という事情により資金的サポートが必要な研究者を対象に、同会議参加に必要な旅費と参加費の助成を行っている。こうして若手研究者、とくに南欧、東欧の研究者が自分たちの研究成果をゲントで発表する機会を提供することにより、世代や経験によらず、幅広い研究者に発表の場が生まれ、ひいては同会議の学問的多様性を高める効果もある。

今回のゲントの国際会議に事前登録した研究者の数は1,000名を超え、採択された106件のパネルと310件の個人論文発表に、現地もしくはオンラインで参加することになっている。注目されるのは、2016年に新設された団体である「東アジア日本研究者協議会」(East Asian Consortium of Japanese Studies:略称 EACJS)の代表者が参加するパネルセッションだ。準備期間に2年を費やした、EAJSとEACJSによるこの2つの特別合同パネルセッションでは、両団体のメンバーがヨーロッパとアジアの視点から日本研究の将来について討論することになっている。
EACJSが掲げるミッションは次の3点を柱としている。第一は、日本研究の質的な向上を目指すこと。第二に、地域の境界に閉ざされた日本研究から脱し、より多様な観点と立場からの日本研究を志向すること。第三に、東アジアの安定と平和に寄与することだ。
発起人の1人である朴喆熙(パク・チョルヒ)教授と今年度のEACJS国際学術大会の議長を務める友常勉教授が、ブレッヒンガー-タルコット博士と基調講演者の園田教授と共に2021年のEACJS第5回国際学術大会において、前EAJS会長のアンドレ・ベケシュ教授を始めとする日本研究者たちが地域を超えた連携の重要性について議論したことを受け、さらに対話を深めるだろう。
また、地域にこだわらず多様な見解を持ち、さまざまな立場で、日本研究の質的向上を願っているヨーロッパと東アジアの日本研究者の関係強化を目指すネットワークづくりのためのイベントも企画されている。
ソウル大学校国際大学院の前院長で同大学院の教授である朴氏は、韓国外務省の所管で教育と研究を担う韓国国立外交院の院長であり、友常教授は文部科学省の方針に基づき、国際日本研究を推進する日本でも数少ない研究機関である、東京外国語大学の国際日本研究センターのセンター長を務める。

長い年月をかけて我々が蒔いた種の成果がいま芽吹き始めていることを嬉しく思いますし、今後の展開が楽しみです。

設立間もないEACJSにTIFOが助成を開始したのは2019年だが、歴史の長いEAJSとの関係はかれこれ20年以上になる。ブレッヒンガー-タルコット博士は言う。「TIFOとわれわれEAJSは、若手の研究者を支援し、次世代のために行動を起こすことの大切さについて理念を共有しています。この共通認識が、関係構築を始めた当初から両者の協業の基盤を形づくってきたのです。」
TIFOによるEAJSの取組みへの支援は、博士課程の学生に最初の奨学金(フェローシップ)を支給した1998年に遡る。それ以降今日まで続けられている同奨学金制度は、日本国内での3か月以内の短期フィールドワークを対象としている点が他の制度と一線を画しており、学生の人気が高い。博士は説明する。「奨学金というと、一般的には1年間程度の長期間を対象としたものが主流ですが、この制度が素晴らしい点は、使い方の柔軟性です。受給者の博士課程学生はこの奨学金を、歴史研究の場合のように、アーカイブの閲覧や長期フィールドワークの準備などの事前調査に充当することができます。また逆に、論文の執筆など、調査研究後の活動に活用することもできます。例えば、私のような社会学者の場合、日本でインタビューを行い、関連資料を集め、帰国後に論文執筆に取り組んでみると、自分のデータとの整合性を図る段階で、新たにフォローアップ調査が必要な問題が出てきたりするのです。」
TIFOの奨学金制度は、博士課程に在籍する学生、もしくは、ヨーロッパの研究機関で4年以上の日本研究の正規専攻課程を修了し、博士課程と同等とみなされる大学院生を対象としている。今年の受給者は、2023年9月に日本でのフィールド調査を開始する予定である。

EAJSの博士課程ワークショップの参加者には、自分の専門分野を超えて、より広範囲な日本研究者のグループへの帰属意識が生まれます。参加者が、現在の研究活動だけでなく、将来の研究に取り組むにあたっての精神的な励ましや、課題解決のヒント、次のステップへの動機付けが得られる場でもあるのです。

EAJSの 博士課程ワークショップは、奨学金制度と共に、EAJSとTIFOとの協力の下で長年続いている中核事業の一つだ。2000年に始まった3日間の集中セミナーを通じ、若手研究者を対象に、ヨーロッパで日本を研究する先輩の大学院生や経験豊富な研究者との学際的なネットワークづくりを目標とする。各ワークショップは、ヨーロッパ中から選抜された20名までの博士課程の学生らによる小規模な会議形式をとっている。自分たちの研究の構想を発表し、先輩研究者や仲間の学生たちからフィードバックを受けることが出来、密度の濃い活発な意見交換が出来るセッションだ。若い学者たちにとって、異分野の研究や、手法・論理的アプローチの異なる他のヨーロッパ地域の研究を知る機会となると共に、自分のフィールドワークの計画や、事前調査で得た知見、論文の素案について、経験豊富な学者から得難い助言を受けることができる。参加者には、事前課題として他の参加者の研究を読むことが課されるが、これは自分の研究を、広い国際的なフィールドでより明確に位置づける一助となる。小規模な日本研究学科に所属する学生にとって、国際会議への参加に必要な渡航費用の確保は容易ではないため、特にこの機会からの恩恵は大きい。今年は参加者の登録費用等が助成されるEAJS国際会議の直前に、ゲントから1時間の距離にあるベルギーのルーベンでワークショップの開催が予定されている。2023年のワークショップ終了時には、博士号候補生の累計参加者数は331名を数えることになる。

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2022年EAJS博士課程ワークショップでの参加者の笑顔
パラツキー大学オロモウツ(チェコ共和国)

「当初ワークショップは2年、もしくは3年周期で行われていましたが、参加希望者の増加を受け、2010年以降は毎年開催しています。」と、ブレッヒンガー-タルコット博士は話す。「毎年の開催にすることで、若手研究者への支援を飛躍的に向上させることができました。また、日本研究の基盤がまだ弱い南欧、東欧諸国を含むヨーロッパ全域の博士課程の学生がワークショップで一堂に会し、教育機関同士、交流の場を提供できているというのも意義深いことです。」
このほかに、参加者にとっては、英語力の向上の機会という恩恵もある。
「日本研究者の共通言語はもちろん日本語ですが、日常の研究活動でドイツ語やイタリア語、スペイン語が使われている場合、国際的な場での発表のためにも、自分たちの論文の発表や、研究で生じた疑問を英語でまとめる能力が非常に重要です。」と博士は語る。

TIFOの心強い支援で実現している諸々の活動は、日本に関する優れた研究を推し進め、この学術領域における若手研究者の強固なネットワークづくりに大いに役立っています。

EAJSとTIFOが連携して進めているもう一つの取組みに、過去の参加者、つまりアルムナイのネットワークづくりがある。これにより、過去のEAJS-TIFO奨学金の受給者(フェロー)、ワークショップ参加者、メンターらが活発な交流を継続することができる。このコミュニティで、若手アルムナイは自身の研究分野での成果を経験豊富なメンバーたちと議論し、貴重なキャリア・アドバイスを受け、また類似した研究を行う者同士、プロジェクトの構想に関する意見交換や、将来的な協働の機会について話し合うことができる。「第一回のアルムナイ・ミーティングは、2017年、リスボンのEAJS国際会議の時に行いました。EAJSの会議に参加した過去のフェローや博士課程ワークショップの参加者を集め、ささやかなレセプションを行ったのです。」ブレッヒンガー-タルコット博士はそう振り返る。その後は2019年に日本の筑波で行われたEAJS会議の場と続き、2021年にはオンラインで、そして今年はアルムナイを集めた懇親会がゲントで企画されている。「EAJSのウェブサイトではEAJS-TIFOアルムナイのページを運営しています。求人情報や会議の案内などを共有するアクティブなFacebookグループもあるんですよ。」と、博士は付け加えた。

2019年、TIFOは、財団創立30周年を記念事業として、これまでのEAJSフェローやワークショップの参加者を対象にエッセイ・コンテストを開催した。テーマは、日本研究の将来に対する展望や、最大の機会や課題はどこにあるのか、というものである。提出されたエッセイの中でアルムナイ達は、東洋/西洋という二元論の限界や、日本という島国の文化的、言語的、地理的多様性を一面的にとらえる民俗学的レガシーの克服の必要性、地球環境破壊の危機に起因するエコクリティシズムや歴史相対主義が抱える不確実性への懸念、またポスト構造主義者、ポストコロニアル・ポストヒューマニストの知識形成において学問分野のみならず学術の垣根を超えて対話を深めることの重要性などを説得力ある文章に書き綴った。同コンテストのファイナリスト上位10名には、研究助成金として賞金と、2020年に予定されていたEAJS国際会議への参加補助金が贈呈された。また受賞者のうち4名が、2021年にEAJSとTIFOが共同開催したアラムナイ特別合同セッションにパネリストとして参加した。

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2019年TIFO創立30周年記念エッセイコンテストでの
EAJS、TIFOの役員と3名の最優秀賞受賞者

世界中の日本研究者たちが比較研究に基づくアプローチを採用し、自身の研究に柔軟な方法論を採り入れ、それぞれの研究機関が地域や国境を越えたつながりを進んで受け入れるようになるにつれ、果たしてどのような形で新しい日本研究との関り方や、叡智を結晶化した物語(ナラティブ)が現れてくるのだろうか。世界でアジアの影響力も高まりを見せる中、今後の日本研究の行方は私たちには想像することしかできない。ゲントでの国際会議を節目にブレッヒンガー-タルコット博士はEAJS会長としての3年間の任期を終えるが、次の3年間は、EAJSの前会長として引き続きEAJSの評議員会のメンバーを務めることになっている。EAJSの他の幹部と共に博士が実現してきた学術ネットワークの強化を更に推し進め、熱意溢れる教育者として、今後も若手研究者の専門家としての育成にいっそう邁進されることだろう。

翻訳注:この取材はブレッヒンガー-タルコット博士がEAJS会長を退任する2023年8月のゲント国際大会の前に行われたものです。

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