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バーバラ・ルーシュ博士インタビュー

コロンビア大学日本文化戦略研究所所長

日本特有の文化から世界の文化へ
日本の伝統音楽の魅力を高めるコロンビア大学の取り組み

バーバラ・ルーシュ博士
コロンビア大学日本文化戦略研究所所長
バーバラ・ルーシュ博士
©Jun Toyama

音楽には、言葉や文化・時間を超越して私たちを結びつける力がある。それを実証しているのがニューヨーク州のコロンビア大学日本文化戦略研究所(略称IMJS: Japanese Cultural Heritage Initiatives, Columbia University)の活動だ。同研究所の所長を務める同大学名誉教授(日本文学・日本文化史)のバーバラ・ルーシュ博士に、日本の伝統音楽(邦楽、雅楽)に対する同研究所の取り組みと、東芝国際交流財団(TIFO)の支援を得て、こうした和楽器を用いた音楽がどのように新たな聴衆を世界中から獲得しつつあるのか、お話を伺った。

取材・執筆:橘高ルイーズ・ジョージ

日本文化に対するとらえ方の変化

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コロンビア大学前景

第二次世界大戦以降、日本文化は世界各地で日本ファンに支えられ、こうした人々により設立された日本との交流団体や地域の日本人コミュニティが中心となって、コンサートや映画の上映会、各種講座、実演会といった各種イベントが開催されてきた。このような日本文化紹介の一連の取り組みは確かに称賛に値するものではあるが、「観客がどうしても日本文化の受動的な視聴者に留まってしまう傾向があった。」とルーシュ博士は言う。

「私たちの研究所では、日本文化を異国の地の文化として捉えないことがとても重要であると考えています。つまり、一度だけ経験した人が『独特でなかなか素敵ですね。』と言ってその場を去ったが最後、日本の文化を忘れてしまうことは望んでいないのです。」と博士は語る。

現在の研究所の前身の中世日本研究所(Institute for Medieval Japanese Studies)は、前近代の日本文化の中でも、それまで研究の対象とされてこなかった領域に関する研究活動の推進を目的に、1968年にルーシュ博士によってペンシルバニア大学に設立されたものである。その後、1984年に同研究所はコロンビア大学に移管され、研究所の名称は2013年、日本文化戦略研究所(Institute for Japanese Cultural Heritage Initiatives)に改称されたが、英語頭文字のIMJSはそのまま受け継がれている。

日本伝統音楽への関心を呼び起こす

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雅楽アンサンブルクラスの授業風景
©Susan Cook

西洋の音楽が日本に導入・紹介される以前の時代の日本の伝統音楽は、1990年代後半まで、日本の国外ではほとんど関心を持たれていなかった。ルーシュ博士は次のように語る。「たしかにいくつかの関連する講義は存在はしていましたが、日本の伝統音楽が実践面においてほとんど見向きもされていないことに私たちは気付いたのです。例えて言えば、水泳やバスケットボールを座学のみで習うようなものです。つまり、自分で実践してみない限り、理解の入り口にすら立てないものだということです。」

実際、同研究所がアメリカ全土の調査を行ったところ、日本研究の分野の中で、日本の伝統音楽だけが唯一、アメリカで学位取得可能なプログラムや専門教育施設が存在しないことが判明した。そこで日本の文化庁の支援を受け、2006年に雅楽の演奏に使用する管/弦/打楽器の実技レッスンプログラムを研究所に新設し、コロンビア大学音楽学部音楽実技プログラム(MPP)に雅楽アンサンブルが結成されることになった。このことがニューヨークの聴衆の関心を呼び起こすとともに、受講生のなかには、後に雅楽器の師範となる者も現れるようになった。こうした取り組みの努力が結実し、数年後には尺八と、箏の実技コースが開講されることとなった。

そして、日本文化戦略研究所が立ち上げた和楽器実技プログラムが設置10周年を迎える2016年までには、大学の取得単位として認定された和楽器実技レッスンのほか、作曲家向けワークショップ、東京での夏期集中レッスンプログラム、マスタークラス、一般公開する年次演奏会など、日本の伝統音楽普及の取り組みの幅を広げていった。

千載一遇の日本研修の機会

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ロザムンド・プラマー氏(中央)とアンサンブルメンバー、ヘンリー・リアン氏(左)とブロンウィン・カークパトリック氏(右)
©Rosamund Plummer

ルーシュ博士によると、日本文化戦略研究所の設立間もないころから続く東芝国際交流財団(TIFO)の支援が、日本の伝統音楽の普及の取り組みを推進する上で、非常に大きな原動力になっているという。東京で実施している「グローバル・アーティスト・レジデンシー・プログラム」の成功も博士は喜ばしく受け止めている。2014年に始動した同プログラムは、海外で活躍するプロの西洋管楽器奏者が、日本の和楽器の師範から日本の管楽器の教えを受けるというものである。

同プログラム初の参加者として研究所が選んだのは、オーストラリア人のプロフルート奏者、ロザムンド・プラマー氏だ。プラマー氏は2014年の同プログラムにおいて、著名な雅楽奏者である笹本武志氏に師事し、龍笛(7つの指穴がある竹製の横笛)を学んだ。プログラムへ申し込むチャンスが訪れたのは偶然によるものだった。コロンビア大学から同じような関心を持つグループに送られた応募メールが、たまたまロザムンド氏のもとに転送され、そのメールを読んだプラマー氏は、すぐにこれがまたとない機会であることを直感したのであった。

「それまでも私は訪日経験があり、日本のことは大好きでしたが、以前から和音楽に関心があったわけではありませんでした。魅力的で挑戦しがいのあるこのプログラムのことを知り、自分の人生を変えるような経験になるだろうと確信しましたし、実際にそのような結果となりました。」と、プラマー氏は振り返る。「最も印象に残っているのは、東京の武蔵野楽器(雅楽器専門の楽器店)の店舗の奥の部屋で、週2回、時には一日4時間も笹本先生から稽古をつけていただいて練習に励んだ時間です。稽古は大変でしたが、練習はとても楽しいものでした。」

日本の伝統音楽の可能性を広げる

ルーシュ博士と研究所のメンバーは、自分たちの使命は日本の伝統音楽を保存することではないと考えている。「伝統を守るお仕事は日本の皆さんにお任せしたいと思います。幸いなことに今では邦楽の価値を見直そうとする日本の若者たちがたくさんいます。」とルーシュ博士は言う。「私たちは骨董品のような文化を保存しようとしているわけでもありません。それどころか、和楽器は世界のこれからのクラシック音楽の発展に寄与する、胸が躍るような可能性を秘めていると私たちは考えています。」

つい最近まで、西洋のオーケストラが、日本人の作曲家である武満徹や一柳慧の作品など、和楽器を必要とする楽曲を演奏したいと思った場合には、多額の費用をかけて日本から演奏者を招く必要があったが、今後は、和楽器の奏法を習得した西洋人演奏者が増えていくことで、西洋のオーケストラでも団員として和楽器も演奏できる奏者を抱えることができるようになるだろう。

こうした展開は、誰もが知る著名な作曲家のレパートリーの演奏のみならず、新進気鋭の作曲家の音楽にスポットライトをあてる道筋を作ることにもなる。「日本の音楽はすべての文化に通じる要素を備えており、将来を担うリーダーは、政治の分野だけでなく、文化の領域にも必要です。」ルーシュ博士はそう語り、グローバル・アーティスト・レジデンシープログラムこそがこのコンセプトを具象化している事例なのだと付け加えた。

帰国後に前衛を務める

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ノルウェーの現代音楽界を牽引するトロン氏
©Trond Magne Brekka

2014年にオーストラリアに帰国すると、プラマー氏はシドニーオペラハウスで龍笛の腕前を披露し、また教育を目的とする演奏会の場で和楽器を紹介した。その後、プラマー氏はシドニー交響楽団のピッコロ首席奏者としての33年間のキャリアを終え、2019年に引退。自身は龍笛を担当し、能管(能舞台で用いる竹笛)、篠笛(祭りや舞台で用いる6つの指穴のある竹笛)の奏者とアンサンブルを組み、「トリオ・バンブー」(Trio Bamboo)を結成した。トリオは、アメリカや、オーストラリアの作曲家に雅楽や日本の伝統管楽器を取り入れた新譜の作曲を依頼し、出来上がった作品を演奏する活動を行っている。

2018年のグローバル・アーティスト・レジデンシーには、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団のソロピッコロ奏者、トロン・マグナ・ブレッカ氏が選出された。ブレッカ氏は国際的に活躍する尺八奏者である柿堺香氏の下で尺八(五つの指穴をもつ竹製の縦笛)を学んだ。ブレッカ氏も、プラマー氏と同様に、帰国後に日本で得た学びを自身の演奏活動に採り入れる様々な機会を見出し、これは彼の演奏テクニックの幅を広げ、音楽そのものへの理解を深める結果につながっている。

「グローバル・アーティスト・レジデンシープログラムは、私が教壇に立つ音楽アカデミーの学士、修士の学生たちに新たなフルート奏法を教える知見を与えてくれました。また、フルートの現代楽曲の演奏や指導への見識を深めることもできました。こうした楽曲の多くは、伝統的な尺八音楽の影響を強く受けたものです。」とブレッカ氏は語る。

誰もが利用できるシステムの構築に向けて

同研究所とTIFOが協力して進めている最新の取り組みは、誰もが好きな時に利用できる邦楽演奏動画のオンラインアーカイブの制作だ。今日まで、こうした映像と音声の素材を気軽に利用できるしくみは無く、譜面の入手すら困難なこともある。和楽器の生の演奏会向けの楽曲を検討する際に、このオンラインアーカイブが音楽家やコンサート主催者、アートディレクターなどに活用されることが期待される。もちろん、このアーカイブは日本の伝統音楽に出会い、楽しみたいと思う誰もが利用できるようになる予定である。

ルーシュ博士は、研究所による日本の伝統音楽の普及活動の熱心な支援者であった前述の作曲家、一柳慧氏(1933-2022)の功績を挙げる。一柳氏が、西洋オペラや映画音楽から電子音楽、和楽器を使用した楽曲まで、幅広いジャンルの作曲を手がけたからである。

「一柳先生は西洋のクラシック音楽、また和楽器に新たな道を切り開き、ご自身の収録曲や楽譜をコロンビア大学に寄贈することを約束してくださったのです。」と、ルーシュ博士は語る。「先生の作品を今後私たちのアーカイブに載せることができれば、ほかの音楽家の皆さんも先生に続けとばかりに作品を提供して下さるものと思います。」

新たな音楽を共に奏でる若手の音楽家たち

ルーシュ博士は、日本や西洋の新興の世代の音楽家が日本の伝統音楽を熱心に学び、演奏、作曲し、お互いにコラボレーションしあう姿を見て、将来への明るい期待を膨らませている。博士は語る。「大切なのは、音楽というものを(日本の)『国内』か『海外』かで区別すべきではない、ということを強調しておきたいと思います。日本と西洋の音楽家たちは、21世紀という時代において、新たな音楽を一緒に創造する仲間のような存在としてお互いを認め、思いを共有していると私は信じているのです。」

人々が対面で集まることに厳しい制限が課せられた新型コロナウィルスによるパンデミックが極限に達したとき、この言葉の意味は一層実感を伴うものとなった。「パンデミックの到来はパフォーミングアーツにとって大きな打撃になると誰もが考えていました」と、ルーシュ博士は振り返り、語る。「ただ実際は、パンデミックは、テクノロジーがいかに高度な進歩を遂げていたかに気付く時間も私たちに与えてくれたのです。テクノロジーの進歩は対面で人と出会えない時ですら、人と人とが協力し合うことを可能にしてくれ、私たちは救われたのです!」

通常、日本文化戦略研究所では、和楽器専攻の学生たちが学習成果を披露する場として一年の終わりに演奏会を設けているが、パンデミックにより開催が見送られることとなった。それでも、幸運なことに、コロンビアの雅楽コース卒業生のプロのフルート奏者で、今では龍笛奏者としても活躍するリッシュ・リンズィー氏が、自身の持つITのスキルを駆使して、2020年にオンラインのアンサンブル演奏会を実現させ、学生たちは、全米各地、および海外の居住地からリモートで集まり、一緒に演奏することができたのだった。

ルーシュ博士は、以前は研究所の講師たちがテクノロジーというものに対していくぶん抵抗があったことを認めているが、今ではそうした講師陣も、パンデミック下でテクノロジーが果たした力を目の当たりにすることで、和楽器を中心とした将来のコラボレーションの様々な可能性に大きな期待を寄せているそうである。「たとえ国と国の関係が政治的、経済的に良好でない時にあっても、演奏家たちは手を携えて、世界中からアンサンブルで演奏できるのです。こうした価値ある取り組みに関わることができるのは人生の大きな喜びですね。」そう博士は語る。

注)当記事は、オリジナルは英語で書かれたものであり、日本語版は当財団にて翻訳したものです。

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